行きも帰りも足止めを食らう!はたして無事に旅ができるのか!?

第二の故郷であるイギリスへの旅行中、ハプニングの連続。

はたして無事に旅を終えることができるのか。

イギリスへの里帰り

子供の頃、父の仕事の都合で、家族でイギリスに数年間住んでいた私にとって、イギリスは第二の故郷と言っていい。

今回、日本に帰国してからおよそ15年ぶりに母と二人で「里帰り」をした。

海外旅行ではあるが、昔住んでいたので旅行については何の心配もしていなかったのだが、旅先では何が起こるかわからないというのを身を持って体験することとなった。

第一のハプニング

イギリスに着くとまずはロンドンで一泊した後、旅の目的である里帰りをするため、住んでいた地域へ出発。ロンドンから車で3時間以上かかる、イギリス中部のスタッフォードシャーへは、今回は列車で向かう予定だった。

しかし、しょっぱなからトラブルが発生したのだ。

時間に余裕を持って駅に行ったところ、なんと労働者のストライキで駅が閉鎖したばかりだという。日本では考えられない事態だ。ストライキ中なので説明してくれる駅員がいるわけでもない。無責任にもほどがあると思うが、これが彼らの表現の仕方なのでしょうがない。

久しぶりに英語を駆使しながら、周りにいる人たちから二駅先の駅なら使えるという情報を得て向かうことにした。

時刻は夕暮れ時。どんどん暗くなるにつれて、それまでにぎわっていたロンドンの通りも、急に危険な路地に様変わりしたように感じる。

母と私は恐ろしくなりながら、ひたすら早足で見知らぬ通りをスーツケースを引きずりながら、駅を目指して進んだ。

変な事件に巻き込まれ、「邦人女性二人がロンドンで死亡」というニュースが日本で流れるのではないかという妄想までしながら、どれくらいの時間歩いただろう。やっと着いたら、その駅も次の列車が発車したら閉鎖すると聞こえてきた。そして次の列車はすでにホームにいるらしい。列車に乗れず、泊まるホテルもないまま、見知らぬロンドンのどこかの街に取り残されるわけにはいかない。母と私は、陸上選手並みのダッシュでなんとか列車に飛び乗ったのである。

案の定列車は同じような目に遭った乗客ばかりで大混雑しており、3時間余り立ちっぱなしだったが、とにかく乗れただけで嬉しかった。

他の乗客も余裕がないだろうに、荷物の多い私たちに気を遣ってくれる男性がいた。スーツケースが転がらないように、壁際に立てるように場所を譲ってくれたのだ。こんな時に人を思いやれるとは、さすが英国紳士、ジェントルマンだ。

故郷で楽しむ

夜も遅くなった頃、無事列車は住んでいた小さな町に着き、私たちは予約していた宿にたどり着くことができた。

それからの四日間は、当時の友人と再会したり、近所を散策して思い出に浸ることができた。友人に聞いたところ、イギリスではストライキは珍しくないらしいが、遭遇したらたまったものではない。

第二のハプニング

旅の中盤は何事もなく過ぎ、無事楽しむことができた。本来の目的だった里帰りを満喫することができ、大満足の中帰路につく。と思いきや、またもハプニングは発生した。

帰りの列車はスムーズにロンドンのヒースロー空港に着き、ほっとひと安心したのもつかの間。なんと今度は発着予定のターミナル5でテロの可能性があるとのことで、ターミナル5が全て閉鎖したところだったのだ。

何の因縁か、またしても閉鎖という目に遭う人など、そうはいないだろう。それも今回はストライキではなくテロの可能性という危険性まであるのだ。今度は周りの人もパニックになりかけているので、混乱の中、別のターミナル3へ行かされた。

自分たちが乗る飛行機が何時にどこから出発するのか、放送も早口で聞き取りづらく、もっとリスニングの勉強をするべきだったなどとぼんやり思ったのを今でも覚えている。

実は空港内のあまりのカオスぶりに、どうやって飛行機に乗れたのかいまいち記憶がない。母と手に手を取って、とにかくどきどきしながらたどり着けたことだけは確かなのだが、きっと私たちもパニックを起こしていたのだと思う。予定よりだいぶ遅れはしたが、無事に日本に帰国し、帰宅した時にはどっと疲れが出た。

後で知った情報によると、結局それはテロではなかったとのことだったが、もうどうでもよかった。

この旅行で良かったのは、母との絆が深まったことだ。

苦難を共にすると絆が深まるとはまさにこのことである。旅行からだいぶ時が経った今では、貴重な体験だったと振り返ることができるようになった。