ありがとう、台湾

カテゴリー【旅✖️神様】の記事は、様々な人の旅先で起きた奇跡の瞬間を、旅人独自の表現方法でお伝えしている記事です。この記事を読んで、できるだけ多くの人に同じような奇跡の体験をしていただきたい、そのために様々な場所へ旅に出てもらいたい、その思いで伝えています。

 

巷はミレニアムで沸き立っている1999年12月。

クリスマスも終わり、年末年始まであとわずかという師走の名前がもっともふさわしいその時期、私はさまざまなトラブルにみまわれ人生どん底であった。

もう死んでしまいたいと思うほど、人生がどうでもよくなっていた私に

「じゃぁせめて死ぬ前にこっちへおいでよ。美味しものいっぱい食べさせてあげるよ」

といったのは、当時まだ会ったこともないメル友だった。

彼は商社勤めで台湾に住んでいた。

若い女性がそういう出会いをしてトラブルになる事件があることも知っていた。
ただ当時の私には関係なかった。これ以上どれだけ落ちていくことがあるだろうか。
そんなやけっぱちな勢いで私は台湾へ旅立った。

今思えば年末年始が差し迫り、なおかつミレニアム問題で大騒ぎのあの時期によくすんなりとフライトチケットがとれたと思う。

海外旅行は初めてではなかったが、いつもツアーだったのでおおかた旅程は決まっていた。

しかし、今回は台湾という目的地しか定まっていない。

「おいでよ」といった彼は本当には存在せず現地の空港で立ち尽くす自分や、存在はしてもとんでもない悪党でどうにもこうにもならない自分を想像しながら、それでもなぜか雲の上の景色を眺めていると、まだ見ぬ台湾の地に期待が膨らんだ。

台湾一日目

彼はそこにいた。事前に送ってもらった写真通りの、やせぽっちの人だった。

「はじめまして…っていうのかな?よく来たね」

彼の笑顔に救われたのか、一気に空腹を感じた。やはり緊張していたのだろう。

「お腹減ってる?」
「もうめちゃめちゃ減ってる!」
「あはは、じゃぁまずは食事だね」

そういって彼は車に向かう。そしてなぜか助手席に座ったのだ。

きょとんとしている私を不思議そうに見る彼。

しかし合点がいったのか大笑い。

「こっちは左ハンドルだよ。君に運転させるわけないじゃない」

ああ、そうだった。私は台湾に来たんだった。。。。

空腹で意識が遠のきそうな私をまず連れて行ってくれたのは
『天厨菜館』
生まれて初めてまるまる一匹の北京ダック。
日本では考えられなかった。

「あの…これ…さすがにお腹は減ってても全部は食べられないんですけど…」
「当たり前だ!」

北京ダックをお腹いっぱい食べられるになんて、なんて贅沢な。
のちに「これが人生を悲観して旅立ってきた女子大生の顔かっていうくらい幸せそうな顔してたよ」
と彼に言われるほど絶品ぞろいの店だった。

店を後にして彼が

「疲れてる?まだ大丈夫だったら連れていこうと思ってるところがあるんだけど」

美味しいものをたっぷりいただき、疲れなどあろうものか。望むところだ!!

そうして連れてこられたのが
『龍山寺』
台湾のパワースポットと言われるところで、日が暮れても多くの人でにぎわっていた。
日本の寺とは違って赤や金で装飾された建造物は圧巻だ。
見渡すと皆線香の束を頭にあげ、何やら必死に願掛けをしていた。

「はい」
気が付けば彼の手にも線香の束。
「君の何かお願いしたら?」

やけっぱち人生に願いなど何もないような気もしたが、せっかく用意してくれたものを無駄にもできず見よう見まねで私も線香を持った手を頭にあげる。

このときの私は一つの懸念があった。
旅行の予定は2泊3日。
当然ホテルなど予約していない。

予定で行けばこのまま彼の家で厄介になるのだ。
すでにともに過ごした時間は4時間弱。彼はメールでやり取りをしていた時のままの彼で、悪党の気配はない。なるようになるのは仕方ないにしろ、せめて悪党でないことを願いたい…

そんな龍山寺での願いが聞いたのか、彼はとっても紳士的だった。

連れてこられた彼の住処は一人暮らしには広く、部屋もいくつかあった。

「この部屋自由に使って。今日は疲れたでしょ。ゆっくりお休み」

とくに何かかを期待したわけではないが、最後の緊張から解放されるとなぜか体の中にぎゅっと詰まって、詰まり過ぎて固まっていたものが、ほわんと体から抜けていくのを感じた。
昨日までどん底だったはずの人生だったが、それでも私は異国の地に立って、美味いものを食べ、美しいものを見て、暖かい布団で眠ることができるのだ。

自分の仰々しさにあきれる思いを抱き始めた、台湾1日目の夜だった。

台湾二日目

朝、ベランダに出る。

むき出しの鉄筋、さび付いた看板、ゴミの散らばる道路。大声で飛び交うよくわからない言葉。
決して美しくも綺麗でもない街並みがそこには広がっていたが、その猥雑な風景が妙に私の心をうつ。

今日の私は昨日や一昨日の私とはなんら変わりなく、何一つ問題は解決されていないはずだが、、
今この流れに身を置く自分は、そんな私とは違う時間を生きているような錯覚を覚える。

旅とは、えてしてそういうものなのだろうか。

この日も彼は台北市内の観光へと連れ出した。
午前中は『故宮博物院』『忠烈祠』『中正記念堂』など、主な台北の観光スポットを回る。

聞くところによると、駐在員は日本からきた顧客を観光へ連れていくのも仕事の1つらしく、幸運にも私はその恩恵にあずかることができたのだ。

昼食は『鼎泰豊(ディンタイフォン)』にて小籠包を満喫。

この旅行自体が、まったく目的意識のない出発から始まったものであったため、正直食事のことなどこれっぽっちも期待はしていなかったのに、ここ台湾の食事は何を口にしても絶品であることに驚く。

「本当に君はなんでも美味しそうに食べるね」

とほほ笑む彼。私を見つめるその眼差しは異性を見るというより、肉親に向ける温かみのような
ものを感じる。

その視線になぜか肩透かしを食らわせられたのような感覚を覚えるが、
しかしそれと同時に安堵も広がるなんとも複雑な気持ちだった。

「まだ疲れてないよね?」
「当然!なんてったって若いからね。腹ごしらえもしたし」
「食べ過ぎて歩けないとかない?」
「全然!何ならまだデザートならいけるけど?」
「…若いね…本当」

満足気にお腹をさする私に苦笑しながら彼が言った。

「これからちょっと遠出するよ。お勧めの場所があるんだ」
「おう!望むところだ!」

MRTと呼ばれる都市鉄道に乗り、市内から40分、終点の「淡水」駅に着いた。
ここは淡水河の河口に位置し、河沿いに広がる街並みは開放的な港町を思わせる。

近くにはフェリー乗り場もあり、対岸までのクルージングも楽しめるようだが、それには乗らず、私たちは時折おもしろそうな雑貨屋や土産屋など覗きつつ、川沿いの道をのんびり歩いた。

12月末と言っても台北市内は気温は高めで、日本から着こんできた厚手のコートはここでは無用であった。暖かい日差しの下、河口から吹く風の冷たさが心地よい。

道すがら、立ち並ぶ屋台からは美味しそうな香りが漂っていた。

「ね、あれ食べてみたい!」
「え??まだ食べるの?」

我ながら自分の食欲に驚かされる。日本では食事すら億劫になりがちだった日々を取り戻すかのような勢いだった。

一通り街並みを堪能したころには、すでに日が傾きはじめた。

「ここはね、夕日がとても綺麗なんだよ」

そんな言葉に誘われて、私は川沿いのペンチに腰を下ろした。

川面のに沈んでゆく夕日は確かにとても美しかった。
辺りはカップル達が集い、各々が自分たちの世界にどっぷりと漬かっていた。

気が付けば今日は12月31日。

誰がこんな大晦日を想像できただろう。

気が付けば昨日まで見知らぬ(厳密には違うが)男と異国のこんな場所で夕日を眺めているのだ。
そんな事を考えると、不思議と笑いがこみ上げてくる。昨日まで半ばやけっぱちになっていた人生だが、先々の事は結局蓋を開けてみるまでわからないのだ。

「さぁそろそろ夕食にでも…って、もうあんまり食べられないかな?」
「え?なんで??」
「なんでって…ああ…そうだね。じゃあそろそろ行こうか」

夕食は海鮮料理を堪能した、エビ・カニが大好物の私のテンションは最高潮に。
当然衰えることのない食欲は、彼をさらに驚かせた(あきれさせた)のはいうまでもない。

「さぁ、あとはメインイベントの夜市に行くよ。疲れてない?」
「いやいや、まだまだ!」

再びMRTに乗り、台北でも最大と呼ばれる『士林夜市』に到着。
前夜にも龍山寺のあと華西街の夜市に行ったのだが、規模はその比にならないほど華やかだ。

メイン通りに所狭しと店が立ち並び、その店からは怒号のような呼び込みの声が飛び交っている。
そのあまりの迫力に、ただただ圧倒されるばかりだ。

明日の帰国を控え、さすがにこれ以上の食べることを抑えれた私は仕方なしに雑貨屋や洋服などのめぼしい店を散策して歩いた。

何か欲しいものや買いたいものがあるわけではないが、この雑踏の中にいるだけで異様に気持ちが高ぶってくる。そんな私の気持ちを察するかのように、彼が言った。

「この場所のエネルギッシュな熱気に触れるとさ、なんか生きていくパワーを感じるんだよね、いつも。それに比べたら自分ってちっぽけだなぁ…って思ったりさ」

そんな彼の言葉が私にも染みてくる。

ここにいると生きるって本来もっと単純なものなのかもしれないと思ってしまう。
それを私は自分勝手にごちゃごちゃ複雑にして、右往左往しているだけではないだろうか…

結局何も買わずじまいだったが、この時の私には洋服や靴やアクセサリーなんかよりもっと価値のもあるものを手に入れられた気がしてとても満足だった。

家に帰り、風呂を借り、一息ついてふとテレビのリモコンを手に取る。チャンネルを変えていくと、なんとモーニング娘。が写っているではないか!

「ああ、紅白はじまってるんだね」
「台湾でも紅白見れるの?」
「うん、NHKはみれるんだ」

まさか台湾で紅白を観て、モー娘。のLOVEマシーンが聴けるとは思いもしなかった。しかもその紅白が終わり、行く年くる年が始まり、日本で年が明けても台湾はまだ23時。

「明けましておめでとうございます」のアナウンスもちぐはぐでなんとも不思議な年末だった。
そろそろこちらも年が明けようとしたその時だった。
疲れたから先に寝るといって寝室に行った彼が、再びリビングへ戻ってきた。
そしておもむろに部屋の明かりを消す。テレビも消された。

あまりの突然の出来事に唖然とし、完全に油断していた私の心臓がとたん激しく鼓動する。
ぐいっと腕を捕まれ、何が何だかわからずに、なのに体は無意識に反抗態度にうってでた。

「ちょ、ちょ、ちょっと待った。待った。待っ」
「いいからちょっとこっちにおいで」

待て、いや、ちょっとと言うセリフを繰り返しながら、「ああもうダメか」とか「しょうがないか」とか諦めたはじめた私をよそに彼は私の腕を引き、彼の寝室へといざなう。

「こっちへ来てみて」

しかし彼が誘った場所はベッドではなくベランダであった。
恐る恐るベランダに出る私の肩にそっと毛布が掛けられた。

「あともう少しだから、ちょっと待ってて」

とりあえず怪しい事でなさそうだということがわかり安堵したところにドーンという地響きが。上を見上げると大きな花火が広がっていた。

「ここ、よく見えるだ。ニューイヤーの花火。綺麗でしょ」
「うん」
「明けましておめでとう」
「おめでとうございます」

大晦日は大体家にこもってテレビを見るばかりで、寒い夜に上がる年始の花火など生まれて初めてだった。

まさかこんなニューイヤーを迎えることになるとは。

人生なにが起こるかわからないものだ、とこの旅何度目になるかわからない同じ感慨に再びふけっていた。

「ちなみにさっき、襲われる!!とか思ったでしょ?」

にわかに発した彼の言葉に、急に羞恥が私を襲う。そして激しい自己嫌悪。そんな私をよそに、次に発した彼の言葉は驚くべきものだった。

「娘がね」
「ん?今なんて?」
「娘がいるんだよ。君と同じくらい…ではないか。もうちょっと若い」
「え??いま幾つ??」
「えーっと…たしか18とかそれぐらいじゃなかったかな?」
「いやいや、あなたよ!」
「え、俺?40だよ。今年41」
「え、そんなに上だったの?」
「最初にそう言ったと思うけど。忘れた?」
「うん。たぶん、忘れてた」

メールだけのやり取りに年齢はあまり関係ないと思っていた私は、それまで意識したことがなかった。会った印象も年上だとは把握していたが、せいぜい35,6だと思っていた。

なんでも若くして授かり婚をした彼だったが、若さと未熟さゆえに家庭に収まり切れず遊び回っていたとのこと。そんな彼は当然愛想つかされ離婚。娘は奥さんに引き取られたそうだ。

「言い訳がましいとは思うけど、でも娘が生まれたときは本当に嬉しかったし、娘のことは本当に可愛かったんだ。まぁ自業自得なんだけどさ。」

そのうちその奥さんが再婚。娘には新しいお父さんができるため完全に縁を切られたらしい。
ちょうどその頃に台湾に赴任になったそうだ。

「僕もここに来たころは、人生なげやりになってたんだ。もう守るべきものはないし、1人でこのままなるように生きていくだなって。でも、ここで暮らすうちにさ、ちょっとずつ生きる気力なんかを取り戻したというか。
そんな時に君に出会って、メールのやり取りをしているうちに、僕の娘も今頃はこんなこと考えたり悩んでたりするのかなって思えて楽しかったんだ。そんな君がいつかの僕みたいに投げやりになってたから、もしかしたら僕を変えてくれたようにここが君に何かを与えてくれるかもしれないって思ったんだよ。」

ようは自分の娘に何もできなかった罪滅ぼしを君にわかりに受けてもらったってわけだよ、と彼は笑った。

台湾三日目、最終日

この日も朝、ベランダにでた。

昨日と変わらぬ猥雑な景色。

そしてやはり、今日日本に帰れば私の抱えた問題はなにも変っていない。

しかし私の中の何かは明らかに少し変わりつつあった。
たった2泊3日の、行き当たりばったりの旅が私に与えたものははかり知れなかった。
確かにこの台湾というところは、昨日感じたあの熱気のような、異様なエネルギーを注ぎ込まれる場所であった。

フライトの時間が近づき、彼との時間もあとわずかになった。

結局私たちの関係はメル友以上でも以下でもないままであった。でもそれで良かった。

「いろいろありがとう。ここに呼んでくれて良かった。元気になれた」
「ははは、君はここに来た時から元気だったよ。あれだけ食べれば何の問題もないさ」
「ははは、そうだね」

じゃあね、と差し出した手はひんやりと冷たかった。これが初めて彼に触れた瞬間だった。

じゃあね、とその手を離し、私は帰国の途へ着いた。