インドネシアのジョグジャカルタでの奇跡の出会い

カテゴリー【旅✖️神様】では、様々な人が体験した旅先での奇跡の瞬間をお伝えしています。この体験談を読んで、旅で起きる様々な奇跡の瞬間を感じていただきたい、そして実際に旅に出て奇跡の瞬間を体験してもらいたい、その思いで伝えています。

 

1.浮かない気分のままインドネシアのジョグジャカルタへ

インドネシアの首都ジャカルタからジョグジャカルタまでの飛行機の中で私は憂鬱だった。

落ち合う予定だった友人が、どうしてもこちらに来る都合がつかず、結局彼女と会えなかったのだ。アジア周遊一人旅行も半ばを過ぎ、日本語に飢えていた。いや、親しい人との会話に飢えていた。

東南アジアの人々は基本的に日本人女性の私に冷たいということはない。むしろ言葉が通じなくても親切に接してくれる人の方がほとんどだ。しかし、聞きなれない訛りの英語にも、それすらも出来なくて会話が全く成り立たないコミュニケーションにも疲れていた。

空港から出るとアジア特有の湿気を含んだ熱帯の空気が身体にまとわりついた。心に住み着いてしまった不満がその湿気を吸って余計に醜く膨らんだような気がした。

気持ちは沈んでいても空港に到着したら宿までたどり着かなければならない。タクシーの客引きが盛んに声をかけてくるが貧乏旅行をしている私にタクシーは贅沢なのだ。一目散にバス停に向かい、目的地に向かうバスに乗った。

宿泊するゲストハウスはプチホテルのような雰囲気で少し嬉しくなった。どこの国でもゲストハウスには当たりハズレがあるが、ここは当たりに部類されるところだった。

それでもまだ、浮かない気分のままロビーでノートパソコンを開こうとしたとき、懐かしい日本語で声をかけられた。

2.インドネシア人のピーターとの出会い

「日本人ですか」と声をかけてきたのは私より年下と思われる男性だった。発音にあやしいところがないので日本人かと思い、「はい、日本人ですか?」とオウム返しに尋ねたら思いがけず「いえ、僕はインドネシア人です」との返答だった。

彼はピーターと言い、このゲストハウスで働くために、本日面接に来ていたとのことだった。日本語を独学で習い、日本人を見つけると積極的に話しかけ、日本語能力を磨いているらしい。

彼は東南アジア人らしくない顔をしていた。それを言うと「僕は華僑ですから」と教えてくれた。なるほど、ルーツは中国人だと言われて、一瞬日本人かと思ったことと、アジア人なのにピーターという名前を持っていることにも納得した。

「日本人かと思ったよ」と言ったらピーターはにかんだような笑みを顔に浮かべた。それから日本語で20分ほど話し、連絡先を交換して、ピーターは家に帰っていった。あまり難しい話は出来ないが、慣れた日本語を話すことができて単純にうれしかった。そして先ほどまで胸にこびりついていた寂しさが消えていることに気付いた。

3.ピーターとのデート

翌日はピーターが一日空いているとのことだったので、ボロブドゥール遺跡へ案内してもらうことにした。バスを乗り継いで辿り着くと、チケット売り場でピーターが少し黙っていて、と私に耳打ちした。

ボロブドゥール遺跡の入場券は現地人と外国人の価格で10倍ほどの差があるのだ。ピーターは見事に現地人として二人分のチケットを購入してくれた。二人分のチケット代を私が支払ったところ、ピーターはとても恐縮していた。年齢を聞いたところ、私より10歳も年下だったので、これくらいはして当たり前だと思った。

ピーターもボロブドゥール遺跡についてはあまり詳しくないため、ガイドの役目は出来なかったが、日本語で「すごいねぇ」などの感想を言い合えるだけで私は満足だった。帰りは宿まで見送ってくれた。

正直なところ、日本語が話せる外国人は油断ならない輩も多い。特に観光地と呼ばれる場所には。しかし、ピーターは純粋に日本人と接して日本語を鍛えたいと思っている男の子だった。

翌日のプランバナン遺跡はピーターが仕事のため一人で行き、その翌日には、もう私の出発日になった。

男女の友情は成り立たないと言う人もいるが、私と彼はれっきとした友人となった。力強く握手をし、連絡を取り合うことを約束して別れた。