想像を超える絶景「マチュピチュ」

カテゴリー【旅✖️神様】では、様々な人が体験した旅先での奇跡の瞬間をお伝えしています。この体験談を読んで、旅で起きる様々な奇跡の瞬間を感じていただきたい、そして実際に旅に出て奇跡の瞬間を体験してもらいたい、その思いで伝えています。

 

この26年の間でたくさんの絶景を目にしてきたが、こんなに心を奪われた絶景はマチュピチュだけだった。絶景で涙が出るほど感動することなど、そうそうないだろう。

あれは2012年の9月だった。

一人旅行でカナダを一周し、アメリカニューヨークを渡り、南米コロンビアを経て念願のペルーに到着した私は、旅の途中でできた友人と一緒にマチュピチュを観光することになった。思わぬところで友人ができた私は、それだけで十分満足していた。

予約しておいた宿で休み、写真などの旅の思い出を整理していた。ペルーは旅の最終地点だったので疲れも溜まってなんとなくテンションも上がらないでいた。

翌日、バスでマチュピチュの麓までいき急に体調が悪くなった。

激しい頭痛、吐き気、そしてめまい。しっかり寝たはずなのにおかしいと思っていたが、友人が気遣ってくれてバスガイドさんに相談すると、高山病かもしれないと言われた。急に標高の高いところまできたことが原因だと言われた。周りのひとたちはなんともなさそうだが自分だけが高山病になってしまったようだ。

薬をもらい、飲んでしばらくすると体調は良くはなったが、万全ではなかった。

それでもマチュピチュを見ずに帰ることなんて考えられなかったので、頑張って重い腰をあげてマチュピチュへと向かった。バスを降りた地点からさらに上に登る必要があったため、バスガイドさんから日焼け防止のためのハットと、足の負担を減らすためのスティックを買うようにすすめられた。荷物になるのは嫌だったが、体調も良くなかったので、ハットとスティック2本とペットボトルの水を2本買った。友人がずっと気に掛けてくれていたおかげか、気持ち的には楽になった。

旅の途中で出会った素性も知らない私に、ここまで良くしてくれた友人には今でも感謝の気持ちでいっぱいだ。

上に登るにつれて空気も薄くなり、息苦しくなっていった。多くの観光客がいたが、中には小さな子どもや年配の人たちもいた。同じ日本人観光客も多くいたのでなんだか安心した。

休憩をはさみながらゆっくりと登って行った。途中地点では霧が一面に広がっていたのでなにも見渡すことはできなかった。なんてツイていない日なんだ!と思いながらも登り続けた。なんとなく写真は撮っていたが感動するポイントは正直なかった。

そして、ワイナピチュと呼ばれる絶景ポイントに到着して私は目を疑った。

通過してきたただの石だと思っていたものが、ひとつの町を作りあげていたのだ。美しい石の曲線と配置で、奥に広がる壮大な山々が重なり合って不思議な絶景を作り上げていたのだ。幸いにも霧は引き、鮮明にその美しさを目に焼き付けることができた。

未だに解明されていないマチュピチュの謎はたくさんある。

そんなミステリアスな力も持つマチュピチュの頂点に立った時の鳥肌は尋常なものではなかった。解明されていないその歴史は、言葉では表現できないが体で感じることができたような気がした。そして私は知らぬ間に感動のあまり涙を流していた。

その絶景をみながら、言葉を発することもできず写真を撮ることすら忘れていた。友人が写真を撮ろうと誘ってくれて撮ったのが唯一の写真だ。きっと写真を通して伝わるものではないと体が判断したのだろう。

その後、マチュピチュの偉大さと美しさに浸りながら友人と下っていった。
体調が悪かったことなどすっかり忘れていた。

友人ともペルーでお別れになった。私も予定通りそのままペルーを発った。

日本に帰ってきても何日かはマチュピチュの余韻に浸っていた。

いまでも目を閉じるとマチュピチュの残像が浮かんでくる。

不思議な力をもつマチュピチュはわたしに何かを教えてくれた。でもその何かは言葉で表せるものでも目に見えるものでもない。

世界一の絶景だと確信している。