12万円だけ握って、中国の奥地へ
ネットが普及する直前の時代の話です。大学で歴史を学んでいた私は、どうしても中国の歴史的な遺跡を見に行きたくて仕方ありませんでした。
しかし、貧乏学生だったためお金が無く、安全そうなツアーに参加することなどはできません。
夢を捨てきれなかった私は、バックパックを背負って個人で行く決心をしました。
当時はちょうど猿岩石がユーラシア大陸を無一文で渡るバラエティが人気だった時代でした。そのため若者の間ではバックパッカーとして長旅をするのは一般的な感覚でもありました。
そして、同じゼミの女友達と「敦煌までは行こう」「お金が無くなりそうなら引き返そう」という、今なら絶対にしないような個人旅行に出かけることになったのでした。
行きと帰りの飛行機のみ取り、現地の予定はいっさい立てずの出発。
空港でのワクワク感は一生忘れられません。
しかし、ネットの無い時代ですから現地での情報源は「1年前に出版された地球の歩き方」と、旅の途中で集める噂話だけ。
そして、軍資金は12万円のみでした。
そのため、私たちの旅はいろいろなアクシデントに見舞われることになったのでした。
列車のチケットが取れない
旅の前半、私たちはドミトリーに泊まり歩き、2日間お風呂にも入れず、峠越えの夜行バスで死にそうな目に遭いながらもなんとか敦煌まで1000キロのところにたどり着きました。
中国大陸にいると、1000キロは「中距離」くらいの感覚になってしまいます。
そして、ゴビ砂漠を横断するために列車に乗ろうと駅に行きました。
しかし、駅はまさにカオス。
人混み・行列。1時間並んでチケット売り場に着くも、筆談しかできないためか面倒臭がられて売ってもらうことができません。
スリに気を付けながら右往左往していると、雨が降って来てずぶ濡れに。泣きそうになったとき、ふたりのオバちゃんに手を引かれ物陰に連れていかれました。
明らかに怪しい感じでしたが、話を聞くと「チケットのダフ屋」でした。
なんと寝台席のチケットを代わりに取ってきてやるとのこと。
もう疲れ果てて思考もストップしていたのと、意外と安い価格を提示してきたので…深く考えずに買うことにしました。
結果的にそのチケットは本物で、絶対に自力では買うことのできない競争率の寝台席でした。
ただ怖かったのはオバちゃんに「このことがバレたら公安につかまるから絶対に言うな」と散々口止めをされたことです。
大混雑の中乗り込んだ深夜発の列車は日本では考えられないほど重厚で、数千キロを走るにふさわしい多量編成のものでした。
列車から見た、涙の出た光景
そこからは車内販売で夕食を食べ、乗り合わせたおじさん達とも仲良くなり、シルクロードの名産であるブドウやリンゴを分けてもらったり筆談で話をしたり…。民族も入り混じっており、ウイグル系やトルコ系の人もたくさん乗っていました。
夜中、やっと車内の騒がしさが落ち着いたころ、私は窓の外を眺めていました。
この列車で眠って、明日の朝には敦煌に近い場所まで行ける…そう思うと、感動が押し寄せてきました。
そして窓を開けると、真夏にも関わらず砂漠のキンと冷えた夜の空気を感じました。
そして、窓から顔を出して見た光景は一生忘れることができないでしょう。
列車は砂漠の真ん中を走っていますから、当然灯りなど一切ありません。そのため、空には満点の星空。天の川が降ってくるように見えるなんて、おとぎ話の中のことだと思っていましたが、本当でした。
その降るような星の灯りに、地平線がうっすら照らされています。
そして、その地平線は…丸いカーブを描いていました。
自分のこと、夢にまで見た遺跡に行けること、今までの旅のアクシデントのこと、出会った現地の人のこと、いろいろな思いが押し寄せて自然に涙がこぼれました。
満天の星空、優しいカーブを描く夜の地平線。自分の乗った列車の先頭が濃紺の大地を進んでいく様子。
地球は丸い、なんて知ってはいましたが、宇宙に行かなくても実感することができたことは人生の思い出です。
この経験が、バックパックを背負って歩くことに夢中になった20代の私の発端となっています。